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	<title>ポルトガル語.jp</title>
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	<lastBuildDate>Sat, 02 Jun 2007 11:36:34 +0000</lastBuildDate>
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		<title>ピエドラ川のほとりで私は泣いた</title>
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スペインの小さな田舎町で教鞭を執る29歳の女性ピラールは、12年ぶりに再会した幼なじみの男性から愛を告白される。病を治す力をもつ修道士の彼は、彼女に自分と一緒に来てほしいという。今の暮らしを捨てる決心がつかずに悩むピラールだったが、彼との旅を通して、真実の愛と神の力を再発見していく…。危険を冒すことを恐れていては、人生は何も変わらない。人の一生を左右する“魔法の瞬間”を見逃さないようにして正しい道を選べば、誰の人生も幸福へと辿りつくことを教えてくれる『愛の癒し』を描いた世界的ベストセラー。  </description>
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		<title>Elis Regina &#8220;Águas de Março&#8221;・ボサノバ</title>
		<description>

É pau, é pedra, é o fim do caminho
É um resto de toco, é um pouco sozinho
É um caco de vidro, é a vida, é o sol
É a noite, é a morte, é um laço, é o anzol
É peroba do campo, é o nó da madeira
Caingá, candeia, é o Matita ...</description>
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		<title>出会いーあいさつ</title>
		<description> 

* Como é seu nome? お名前は?
コーモ　エ　セウ　ノーメ

- Meu nome é ... 私の名前は...です.
メウ　ノーメ　エ ...

* Como (você) se chama?  (君の) 名前は?
コーモ　ヴォッセー　セシャーマ

- (Eu) me chamo ... 私の名前は...です.
エウ　メシャーモ...

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		<title>アルケミスト—夢を旅した少年・パウロ コエーリョ</title>
		<description> 

羊飼いの少年サンチャゴは、アンダルシアの平原からエジプトのピラミッドに向けて旅に出た。そこに、彼を待つ宝物が隠されているという夢を信じて。長い時間を共に過ごした羊たちを売り、アフリカの砂漠を越えて少年はピラミッドを目指す。「何かを強く望めば宇宙のすべてが協力して実現するように助けてくれる」「前兆に従うこと」少年は、錬金術師の導きと旅のさまざまな出会いと別れのなかで、人生の知恵を学んで行く。欧米をはじめ世界中でベストセラーとなった夢と勇気の物語。  </description>
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		<title>サンバ・神戸まつり</title>
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リンク: 神戸祭り・サンバ </description>
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		<title>曜日 Os dias da semana の言い方</title>
		<description> 

月曜日　Segunda-feira  セグンダフェイラ
火曜日   Terca-feira　　テルサフェイラ
水曜日   Quarta-feira　クウルタフェイラ
木曜日   Quinta-feira　キンタフェイラ
金曜日   Sexta-feira　　セスタフェイラ
土曜日   Sábado　サッバドフェイラ
日曜日   Domingo　ドミンゴフェイラ

 </description>
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	<item>
		<title>別れのあいさつ</title>
		<description> 

*Até logo アテー　ローゴ　さようなら、またね

*Até amanhã  アテー　アマニャン　また明日

*Tchau!  チャーオ またね，バイバイ

*Adeus!　さようなら



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		<title>ポルトガル語翻訳サイト</title>
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Infoseek ポルトガル語翻訳　（無料）

Livedoor ポルトガル語翻訳（無料） </description>
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	<item>
		<title>ポルトガル語でのあいさつ</title>
		<description> 

ポルトガル語　　　　　読み方　　　　　　　　　　意味 
Ola! 　　　　 　　　　オラー！　　　　　　　　　英語のHello! 
Oi! 　　　　　　　　　オイ！　　　　　　　　　 英語のHi!　 
Bom dia.　　　　　　ボン　ヂーア。　　　　　　おはよう。 
Boa tarde.　　　　　ボア　タルジ。　　　　　　こんにちわ。 
Boa noite.　　　　　　ボア　ノイチ。　　　　　こんばんわ。

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		<title>ブラジルの飲物</title>
		<description>　 [MEDIA=1]

海外からの観光客の多くは、ブラジルのビールは西半球で最もおいしいものの一つだと感じるでしょう。それもそのはず、何世代もの間、ドイツとオランダの熟練したビール醸造者が、ブラジルの主要なビール会社で製造と加工を指導してきたのです。

ブラジルは、サトウキビを発酵させて、純度の高い透明なラム酒、カシャッサ（cachaça）を製造しています。このカシャッサに、刻んだライムと砂糖と氷を加えると、カイピリーニャ（caipirinha）と呼ばれる非常に人気のある飲物になります。また、ガラナ（guaraná）は、アマゾン川流域の果物から作られた、ブラジル独特のおいしいジュースです。 </description>
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		<title>ブラジルの料理</title>
		<description>

地域色濃く、美味ぞろい
　アメリカのハンバーガーやバナナ・スプリットのように、ブラジル料理は、伝統と偶発の産物であると言えます。ブラジルの各地方では、土着の文化や、川や海との距離、降雨量、土壌の状態など、さらにはヨーロッパのどの国による入植かにより、様々な独特の料理が発展してきました。
 
● 料理
バイーア料理の起源は、農園主が毎日の食事や記念日のご馳走の残り物を奴隷に与えていた奴隷制の時代にさかのぼります。奴隷達の中には、魚を釣ったり、エビや貝をとることが許されていた者もありました。奴隷の女性たちは、アフリカの料理を思い出して、材料を鍋に入れ、ココナッツミルクやヤシから作ったデンデ油を加えて調理しました。その後、これらの料理はレシピに残され、名前が付けられるようになりました。そして今日では、バイーア料理と呼ばれています。代表的なバイーア料理を下記に紹介しましょう。
 
ヴァタパ（Vatapá）
　エビを魚と一緒に細かく切るか、またはすり身にして、デンデ油、ココナッツミルク、そしてパンと一緒に煮込み、出来上がったら、ライスの上にかけて食べます。
 
サラパテル（Sarapatel）
　豚か羊の肝臓と心臓を新鮮な血と混ぜ、トマト、ペッパー、玉ねぎを加えて煮込んだ料理です。
 
カルル（Caruru）
　ソテーしたエビに、唐辛子とオクラから作った、非常に辛いソースをかけて食べます。
 
　アマゾン流域の料理では、パト・ノ・トゥクピ（pato no tucupí）がおいしさで定評があります。これはカモ肉に、野生のグリーンハーブをふんだんに使ったコクのあるソースをかけて食べる料理です。この料理を食べた人は、グリーンハーブのせいで、食後何時間も胃がヒリヒリするに違いありません。干しエビとニンニクで味つけされた黄色い濃厚なスープのタカカ（tacaca）も、この地方を代表する料理です。
 
　リオ・グランデ・ド・スール州ではシュラスコ（churrasco）が有名です。牛肉を串に刺して、屋外で炭火焼きにしたものです。トマトと玉ねぎでできたソースをかけて食べます。また、ブラジル奥地のガウショス（gauchos）は、去勢牛を丸ごとシュラスコのように炭火焼きにしたものです。

　ブラジル料理を代表する料理を一つあげるとしたら、それはフェイジョアーダ（feijoada）でしょう。この料理はリオ・デ・ジャネイロで特に人気があります。豆と干した牛肉、スモークソーセージ、牛舌、豚の耳とシッポ、ニンニク、チリペッパーなどを一緒に煮込んだ、豊かな味のする料理です。一般的には、スープ皿に白いライスを盛り、スプーンでフェイジョアーダをかけて食べます。この上に、マンジオッカというイモの粉、つまりデンプンを加えると一味違ったものになります。また、ちりめんキャベツと輪切りのオレンジを添えます。

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		<title>ブラジルのスポーツ</title>
		<description>

ブラジル人のスポーツ好きは、全国に8,000ものスポーツクラブがあることからも分かります。最も人気のあるスポーツと言えば、ブラジルでフッチボール（futebol）と呼ばれるサッカーです。ブラジル人のサッカーに対する情熱は、国内の至る所にあるサッカースタジアムの数とその大きさから推し量ることができます。1950年のワールドカップの会場としてリオ・デ・ジャネイロに建設されたマラカナンサッカー競技場は世界最大で、18万人を収容することができます。
　ブラジル代表チームは、世界で唯一、1958年、1962年、1970年、1994年、2002年のワールドカップで通算５度の優勝を果たしました。

　韓国と日本が共催した2002年ワールドカップでブラジル代表が８年ぶり５回目の優勝を飾りました。５回は史上最多の快挙です。決勝戦は2002年６月30日横浜で行なわれ、強豪ドイツ代表に2-0と快勝しました。0-0で迎えた後半22分、カナリア軍団の10番を背負うエース、ロナウドのシュートが先制点を呼び、さらにその約10分後には、優勝を決定づけるシュートを放ち、ブラジルを優勝に導きました。ロナウドは大会通算で８得点をあげ、得点王に輝きました。ブラジル代表チームの優勝に、ブラジル各地でまた日本でも熱狂的な喜びが沸騰し、全世界に報道されました。
 
　国内には、マラカナンサッカー競技場の他に、10万人以上を収容できるスタジアムが５つあります。サッカーに特に興味がない人でも、ブラジル人サッカー選手ペレ（エジソン・アランテス・ド・ナシメント）の名は聞いたことがあるでしょう。ペレは、世界のサッカー史上最も有名な選手であり、18年間の選手生活で、1,200以上ものゴールを決めています。プロ選手生活を退いた後は、サッカーを普及させようとアメリカに渡り、ニューヨーク・コスモスで数年間プレーしました。
 
　バレーボールは男女共に非常にポピュラーなスポーツです。女子チームは1991年度ワールドカップで、また1999年度パン・アメリカンゲームで優勝しました。男子チームは1992年のオリンピックで金メダルを取りました。ビーチバレーでは、女子チームが2001年に４度目の世界チャンピオンになりました。また、2000年のシドニーオリンピックでは、アドリアナベアール＆シェルダ組が銀メダルを、サムエル＆ピレス組が銅メダルを獲得しました。

　バスケットボールでもブラジルは非常に強いことが認められています。世界選手権で男子チームは２回、女子チームは１回、優勝しています。更に、オリンピックでも何度もすばらしい成績を残していますが、女子チームが1996年に勝ち取ったアトランタオリンピックでの銀メダル、シドニーオリンピックでの銅メダルが輝いています。

　テニスもかなりポピュラーなスポーツです。1987年に男子国別対抗のデビスカップで好成績を収めたのをはじめ、ブラジルのテニス選手は国際的にも活躍しています。グスタヴォ・クエルテンが1997年、2000年と2001年に全仏トーナメントやその他の重要なトーナメントで優勝しました。グスタヴォ・クエルテンは2000年ATP（男子プロテニス選手協会）最終ランキングで１位となりました。

　Ｆ１（フォーミュラ・ワン）で、エメルソン・フィッティパルディが次々と勝利を重ね始めた70年代末以来、カーレースがポピュラーとなり、有望な新人が次々と現れました。その中には、３度も世界チャンピオンとなったネルソン・ピケ、1988年、1990年、1991年にＦ１の国際サーキットで優勝し、1994年５月に亡くなったアイルトン・セナも含まれています。ルーベンス・バリチェッロその他の選手が現在、Ｆ１のグランプリに参加しています。
　
ボクシングでも同様に、アルセリーノ・デ・フレイタス（通称ポポ）が世界ボクシング機構（ＷＢＯ）のＳフェザー級世界チャンピオンとなりました。 </description>
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		<title>ブラジルの歴史</title>
		<description>

ブラジルの発見と植民

ルトガル人によるブラジルの発見（1484-1497）
　15〜16世紀に、人口がかろうじて100万人に達したイベリア半島の王国ポルトガルは、前方を大西洋に、後方をカスティリア（現在のスペインの一部）に挟まれていました。ムーア人の征服に対抗する数年の戦争が終結し、ポルトガル人の関心は次第に、航海による遠征へと移っていきました。スペインが西回りで東洋への航路を探し求めていたのに対し、ポルトガル人はいわゆる「南回り」と呼ばれる、アフリカの海岸を下るルートを選びました。バスコ・ダ・ガマ率いる船団は1487年に喜望峰に到達し、インド洋を渡り極東への航路を1497年に発見しました。ポルトガルはコロンブスが1492年に西インド諸島を発見する前に、既に大西洋の先に島が存在することを知っており、何度か遠征もしましたが、スペインやイギリス、フランスの野望を出し抜くため、そのことを口外することはしませんでした。ポルトガルのような小国にとって秘密主義でいることこそ、海洋のより強大なライバルに対抗して、海外遠征で得られた富を守る唯一の有効な手段でした。

　1494年にスペインとポルトガル間で締結されたトルデシーリャス条約により、スペインとポルトガルの新大陸の所有をめぐる問題は、カーボ・ベルデの西、子午線370リーグ（1,776km）の位置で南北に線を引き、その東方をポルトガルが、西方をスペインが所有することで解決しました。この想定線は、北極から南極に向かって南米大陸の東方を縦断しており、ブラジルの最初の国境を形成しています。しかし、ブラジルがペドロ・アルヴァレス・カブラルによって正式に発見されたのは、この条約締結から6年後の1500年になってからでした。
 
本格的な植民は16世紀から
● 最初の植民（1535-1549）
カブラルのブラジル発見により、すぐに他のポルトガル人もブラジルへの探検を試みるようになりました。この探検による一番の収穫は「パウ・ブラジル（Pau-Brasil）」と呼ばれる、赤や紫の染料の原木を発見したことで、後にこの原木の名がブラジルの国名となります。1530年になってようやく、家畜や作物、種などを携えた最初の組織的な植民団が到着、本格的な植民が始まりました。そして北東部に住んでいた少数民族も統合されていきました。1532年、現在のサン・パウロ州の海岸にあるサン・ビセンテが、続いて1549年には、後の総督府が置かれたサルヴァドールが創設されました。その頃のブラジルには先住民であるインディオが分散して住んでいました。温厚で友好的な部族もありましたが、特に奥地には、凶暴で好戦的な種族がいました。

　植民化が進むにつれ、行政機構の設置が必要となってきました。その第一段階として、ポルトガル王室は16世紀半ばに、カピタニアと呼ばれる14の世襲の行政区を定めました。カピタニアのいくつかはポルトガル本国の国土よりも大きなものでした。「ドナターリオス（donatários）」と呼ばれる領主には、自分の領地の防衛と開発が義務付けられました。このカピタニア制度は長く続き、近代ブラジルの基本的な領土区分及び政治基盤に影響を及ぼしています。


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		<title>ブラジルの気候</title>
		<description>

気候は熱帯性気候、亜熱帯性気候、半砂漠型乾燥気候、高地の亜熱帯性気候、温帯性気候の５つに分けられる。
 
国土の90%は熱帯地域に属しますが、人口の60％以上が、高度や海風や、あるいは南極に影響される寒冷前線などの影響により温暖な地域に住んでいます。気候は熱帯性気候、亜熱帯性気候、半砂漠型乾燥気候、高地の亜熱帯性気候、温帯性気候の５つに分けられます。
　サン・パウロ、ブラジリア、ベロ・オリゾンテのような高原都市は温暖で、平均気温は19℃です。リオ・デ・ジャネイロ、レシッフェ、サルヴァドールのような海岸地帯は、絶え間ない貿易風の影響によって気温が高く、ポルト・アレーグレやクリチーバといったブラジル南部は欧米の気候と似ており、霜が降りたり、冬に気温が零下になることがあります。
　アマゾンというと焼けつくような暑さが一般的なイメージですが、実際に気温が32℃以上になることはそう多くはありません。年間平均気温は22〜26℃、四季を通じて寒暖の差が小さいのです。ブラジルで最も暑い地域は北東部で、５〜11月の乾期には気温はしばしば38℃を上回り、四季を通じての寒暖の差はアマゾン地域よりも大きくなっています。レシッフェからリオ・デ・ジャネイロまでの大西洋地域の平均気温は23〜27℃となっており、ブラジル内陸部の高原地帯の気温はそれより低い18〜21℃です。リオの南部では四季がはっきりしており、気温の変動は大きいものの、平均気温は17〜19℃です。 </description>
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	<item>
		<title>ブラジルの地理</title>
		<description>

ブラジルは中南米最大の国です。面積は8.514.215,3 k㎡と、南米大陸の約半分（47.3％）を占めています。また、世界ではロシア、カナダ、中国、米国に次いで5番目に広大な国土を持つ国です。多数の小島を除くと、ブラジルは一つの大きな陸地で構成されています。世界地図で見ると東部の海岸線の膨らみは、アフリカ大陸の西部のへこみと、ちょうど噛み合う形となっています。大陸移動説によるとこれは偶然の一致ではなく、南米大陸とアフリカ大陸は昔は陸続きでしたが、何百万年以上も前に分かれたと言われています。赤道はブラジルの北部、マカパの近くを通っており、南回帰線はサン・パウロの南を通っています。東西で最も幅が広いところは4,319.4kmで、これは南北の最長距離（4,394.7km）とほぼ同じです。

　南米大陸の中でブラジルと国境を接していないのはエクアドルとチリだけで、北はフランス領ギアナ、スリナム、ガイアナ、ベネズエラ、コロンビア、南はウルグアイ、アルゼンチン、そして西はパラグアイ、ボリビア、ペルーの10ヵ国に囲まれています。ブラジルの東には大西洋が横たわり、海岸線は7,367kmにも及びます。 </description>
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			</item>
	<item>
		<title>ブラジル大使館</title>
		<description>



ブラジル連邦共和国総領事館
住所 ： 	東京都品川区東五反田1-13-12 五反田富士ビル2F
電話 ： 	03-5488-5451
　
ブラジル連邦共和国大使館
住所 ： 	港区北青山2丁目11‐12
電話 ： 	 03-3404‐5211
URL ： 	http://www.brasemb.or.jp/
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			</item>
	<item>
		<title>ポルトガル大使館</title>
		<description> 

ポルトガル大使館
住所 ： 	東京都千代田区麹町3-10-3 神浦麹町ビル5F
電話 ： 	03-5212-7322
URL ： 	http://www.pnsnet.co.jp/users/cltembpt/ </description>
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	<item>
		<title>ポルトガル〜基本データ</title>
		<description> 

【ポルトガルへの交通】

国土
ポルトガルはヨーロッパの西南端にあり、スペインとともにイベリア半島を形づくっています。形は長方形に近く、面積は9 万2,000 km2でスイスとほぼ同じです。また、大西洋に浮かぶマデイラ諸島とアソーレス諸島も領土です。本土では北部、中部、リスボンとテージョ川流域、アレンテージョ、アルガルヴェ、また自治地域としてマデイラとアソーレス、合計７つの地域に分けられます。これら７地域はさらに20 の県に分かれています。 　ポルトガル国土の総面積は日本のほぼ4分の1ですが、平野地帯からエストレーラ山脈に至る山岳地方まで、地形は変化に富んでいます。

首都はリスボンで、大西洋に近いテージョ川の河口にあります。首都圏の人口は190 万人を超え、ポルトガル最大の都市となっています。その他主要都市として、第2 の都市ポルトのほか、ブラガ、セトゥーバル、アヴェイロなどがあります。本土にはリスボン、ポルト、ファロの３つの国際空港があり、旅客と貨物を扱っています。海岸線には大きな港がいくつもあります。北から南の順に、ヴィアナ・ド・カステロ、レイショーンエス、ポルト、アヴェイロ、リスボン、セトゥーバル、シーネス、ファロとなります。加えて、マデイラ島のフンシャル、アソーレスのポンタ・デルガーダにはかなり大きな港があります。 ポルトガルには、北部にドウロ川とモンデーゴ川が流れ、南部にテージョ川、グアディアナ川、サド川という大きな川が流れています。北部は面積の大半が丘陵ないし山岳地帯ですが、歴史ある工業地帯もあります。ポルトガルで最も高い山のあるエストレーラ山脈をはじめ、行楽のための国立公園もいくつかあります。リスボンとテージョ川の流域一帯は非常に工業化が進み、国内で最も豊かな地域です。南部は乾燥地帯が広がり農業が盛んな地域です。
ポルトガル全土でワインの生産が行われ、北部で生産されるポートワイン（ポルト）が最も有名です。南部では樹皮がコルク原料となるコルク樫の栽培が盛んで、ポルトガルは世界一の生産国となっています。

言語

公用語はポルトガル語。外国語でもっとも通じやすいのはスペイン語です。観光地のホテルやレストランなどでは、英語が通じることが多く、都市部での大型店舗などでも、英語が通じる場合があります。
　ビジネスの場では英語も使われています。

気候

海洋性気候で、総じて穏やかな気候ですが、国土が南北に延びているので、地方によって多様性があります。北部海岸地方は、大西洋からの影響を受ける海洋性気候、北部内陸地方は大陸性気候、南部地方は地中海性気候、マデイラ諸島は温暖な海洋性気候、アソーレス諸島は貿易風の影響で風が強い、などです。

　季節別に見ると、春季（３〜５月）は温暖ですが不安定、夏季（６〜９月）は高温が続きますが朝晩は涼しい乾期、秋季（10〜12月）は不安定となる雨季、冬季（12〜２月）も雨季ですが、日本と比較して温暖となっています。

国旗

緑は誠実と希望を、赤は新世界発見のため、大海原に繰り出したポルトガル人の血を表します。盾形の国章の下地となっているのは天球儀で、大航海時代に７つの海を制したポルトガル人の宇宙観を表しています。盾の中の７つの城はムーア人から奪い返した城を表しています。

人口
ポルトガルの人口はほぼ１,000 万人、労働人口は550 万人です。人口密度は１km2当たり約114 人です。

ヨーロッパの主要都市へのアクセス

西ヨーロッパ諸国との結びつきをさらに強めるために、ポルトガル全土で交通網の更なる整備に向けた大規模な投資が続けられています。主要都市とスペイン国境の間の交通をよりスムーズにするため、高速道路と鉄道のネットワークが拡充されています。 ヴァスコ・ダ・ガマ橋は、リスボン市内でテージョ川にかかる２番目の橋として、98 年３月に完成しました。全長18km におよぶこの橋は、ヨーロッパ最長の橋の１つです。もう一方の４月25 日橋は、下層に鉄道も走れるよう増設工事が行われました。どの路線も長距離におよび、陸運業界はポルトガル各地とヨーロッパ各地の間で輸送を行っています。 ポルトガルには４つの航空会社（ポルトガル航空TAP、ポルトガリア、SATA、エア・ルクソール）があります。また、多くの外国航空会社が主要空港に路線を配し、旅客と貨物の輸送を行っています。大西洋に面しているため、多くの製品がポルトガルの港から船でヨーロッパや世界中の市場に運ばれています。そのうちセトゥーバルは、トラックが貨物船にそのまま乗り込める設備のある最大の港です。

リスボンからのフライト所要時間　（時間：分）
アムステルダム 2:50
バルセロナ 1:40
ブリュッセル 2:35
コペンハーゲン 3:30
フランクフルト 2:50
ジュネーブ 2:10
ロンドン 2:30
マドリード 1:05
ミラノ 2:30
ニューヨーク 7:50
パリ 2:15
リオデジャネイロ 9:45
ローマ 2:40
サンパウロ 10:05
ウイーン　3:15
チューリッヒ 2:25
〔出所〕ポルトガル航空


リスボンからの高速道路での距離　(キロメートル)
マドリード 649
パリ 1,790
ブリュッセル 2,100
ベルン 2,200
ローマ 2,260
フランクフルト 2,470
ロンドン 3,010
〔出所〕The European Travel Commission


鉄道での所要時間　（時間：分）
リスボン—マドリード 9:40
リスボン—パリ 20:40
ポルト—ヴィゴ 3:00
〔出所〕ポルトガル鉄道

政治状況

ポルトガルは現在、議会制民主主義の国であり、２大政党体制のもと、政治的に安定しています。一院制の国会は、社会党（121 議席）、社会民主党（88 議席）、共産党（14 議席）、民衆党（12 議席）、左派連合（8 議席）の５政党で構成されています。

現在の政府は、憲政のもとで17 ...</description>
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		<title>マデイラ諸島</title>
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古代熱帯森林が残る、動植物の楽園。緑に覆われた渓谷や滝と碧に輝く海。マデイラは、南国情緒あふれるパラダイスです。

火山の噴火によって生まれたマデイラ諸島は、1419年にポルトガルの航海士によって発見されました。大航海時代のポルトガルの勇敢な船乗りにとって、マデイラ諸島は神聖な場所でした。ポルトガル本島への帰途、船員達は、マデイラの安全な港に立ち寄って、ふるさとポルトガルに帰ってきたことを実感し、そして、航海が無事に終わったことを喜んだのです。

諸島は、リスボンの南西1,000キロ、アフリカ沿岸から800キロの距離に位置しています。諸島の中で最大で、最も人口が多いマデイラ島、ポルト・サント島及び、人は住んでおらず、鳥の保護区となっているデゼルタス島、セルヴァージェンス島などの島々から成り立っています。
マデイラ島及びポルト・サント島にはそれぞれ国際空港があり、本土はもちろん、ヨーロッパの各地とも結ばれています。両島の間には航空便もフェリーもあります。

マデイラ島の魅力は、なんといっても、その変化に富んだ自然の素晴らしさでしょう。誰もが、探検家気分で楽しめること間違いありません。曲がりくねった山道は、時に熱帯植物のカーテンの中を進み、時に切り立った崖スレスレを走り、それだけでも十分楽しめますが、景色の素晴らしさも見逃せません。道沿いの植物は、地域によって、標高によって様々に変化し、険しい山や切り立った谷も現れます。谷間では、絶壁にへばりついたように緑が生い茂っている段々畑や点在する白い家々が見られます。
マデイラ島の首都であるフンシャルは"リトル・リスボン"として知られています。16世紀に建設された堅牢なサン・ローレンソ要塞からは港が一望でき、18世紀の家々が続く豪華な通りは街の中心になっています。

マデイラ島の北東に位置する小さな島 ポルト・サント島は、9キロに及ぶ美しい砂浜の海岸が有名です。マリンスポーツが好きな方は、ポルト・サント島ではスキューバダイビング、ウインドサーフィン、セーリングを楽しむことができます。また、マデイラ島の南西に遠く位置する無人島にはアシカ、トド、海鳥が生息しています。

　気候が1年中温暖ですごしやすくて、花やトロピカルフルーツがふんだんにあり、年間を通じて、観光客の絶える時期がありません。リゾート気分の味わえる、豪華なホテルも島の各地にあり、フンシャル市内にはバー、ディスコ、レストラン、カジノなどナイトライフも充実しています。その他、豊かな歴史的文化遺産もたくさん残されていて、魅力のつきない島々です。 </description>
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		<title>ポルトガル　観光</title>
		<description> 

「ポルトガルは言葉や本に表現しきれない」フェルナンド・ペソア

ポルトガルの偉大な詩人の一人である、フェルナンド・ペソアのこの言葉には、彼の最愛のふるさとであるポルトガルが、国土の小ささにも関わらず、数え切れないほどの魅力にあふれたところであるということが、よく表されています。 　北部の、険しい山々、人里離れた渓谷、ブドウの段々畑。そして南部の、自然のままのビーチ、緩やかな起伏の丘、広大な地平線。様々な、興味深い発見が、この国を訪れる人々を待ち受けています。豪華な宮殿を散策したり、オオカミや大ヤマネコが生息する山々でハイキングをしたり、リスボンのクラブで時を忘れて朝まで踊り明かすのも楽しいでしょう。あるいは、静かな入り江でゆっくりと一日を過ごすのもいいかもしれません。ポルトガル流のゆったりとした考え方、過ごし方を体感してください。ポルトガルを訪れる人々は、滞在する時間をフルに使いながら、この国の隅々まで満喫することができるでしょう。

大航海時代　〜　世界へ
イベリア半島の南西に位置し、大西洋に面していることから、ポルトガルは古くから海を自分の庭とし、共に暮らしてきました。1415年、航海に出たポルトガル人は、インド、ブラジル、中国、日本への航路を発見すると同時に、アフリカ東、西海岸に、植民地の建設を始めました。大航海時代には、各地から富を持ち帰り、その遺産は、その富によって作られた都市や、絢爛豪華な装飾のマヌエル様式の建築物など、至る所で見受けられます。 ポルトガル語は、世界で最も使われている言語の一つであり、ポルトガル人は数多くの文明と交流してきました。こうした歴史から、今日のポルトガルの、他の文化に対する寛容さが生み出されたと言えるでしょう。また、ポルトガル国内に残る、数え切れないほどの歴史的、芸術的、考古学的な遺産は、建国後８５０年に渡る、異文化との出会いだけではなく、それ以前の遠く古代、ケルト、スワビア、西ゴート、ローマ、アラブに占領されていた時代から、ポルトガルの民族が生き、暮らしていた営みを物語っています。

ポルトガルの魅力

ポルトガルを訪れる人々は、どこへ行っても、ポルトガル人の温かく寛大な心、そして親切さを実感することでしょう。歴史的に、文化や経験を豊富に持ち、また、温暖な気候と美しい海に恵まれた素晴らしい環境の中で育まれたポルトガル人は、控え目で、のんびりとした国民性で、いつでも仲間と食事をし、会話をし、楽しい時間を共有するのが大好きです。 シンプルなものから豪華なものまで、快適なホテルも数多く、旅行者を歓迎します。

宿泊施設には、荘園領主や農家の邸宅を提供しているものや、歴史的建造物を改装した国営ホテル、ポウザーダなどもあり、個性的な旅の思い出を演出してくれるでしょう。食べ物も美味しく、まだまだ未知の魅力を秘めた宝物と言われるポルトガルワインも見逃せません。 ポルトガルには誇り高き歴史が根付き、見事な文化遺産や、知的で芸術的な営みが守り続けられています。文化に興味があるなら、国内各地に点在する世界文化遺産をぜひ訪れてみてください。

その他、古代墓地から注目すべき現代建築、またバロックからエキサイティングな現代アートに至るまで、並外れた建築の数々も目を引くことでしょう。 深く激しい情熱と共に繰り広げられる伝統的な各地方のお祭りでは、ポルトガルならではの親切なもてなしに触れることでしょう。太陽や海、砂、どこまでも続く見事なビーチや大西洋岸に砕け散る波の様子を楽しむ方にとっても、もちろんポルトガルは大変魅力的な国です。ヨーロッパでも有数のリゾート地として知られ、マリンスポーツやゴルフを楽しむ、近代的な観光施設も整っています。

また、ポルトガルは島が好きな方の情熱をも満足させることができるでしょう。アソーレス諸島では実に様々な冒険を体験することができ、中でもホエールウォッチングは人気のアクティビティーです。古代の熱帯雨林と近代的な豪華保養地とが調和しているマデイラ諸島では、大変美しい風景、国際都市の賑わい、壮大な建築物、活気に満ちたナイトライフを楽しめ、島の人々が、あなたのお越しをお待ちしています。 ポルトガルにはこのような魅力の全て、そしてさらに多くの発見があります。 </description>
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	<item>
		<title>初対面で会った時は</title>
		<description> 

ポルトガル語　読み方 

A. Ola! Muito prazer.　　　ｵﾗｰ。ﾑｲﾄ　ﾌﾟﾗｾﾞｰﾙ。 
B. Ola! Muito prazer.　　 ｵﾗｰ。ﾑｲﾄ　ﾌﾟﾗｾﾞｰﾙ。 
A. Meu nome é Ken. Como é seu nome?　　ﾒｳ　ﾉｰﾐ　ｴ　ケン。ｺﾓ　ｾ　ｼｬｰﾏ？ 
B. Meu nome é Taro.　　　ﾒｳ　ﾉｰﾐ　ｴ　ﾀﾛｰ。　　 

意味 
Ａ・はじめまして。 
Ｂ・はじめまして。 
Ａ・私の名前はケンです。あなたのお名前は？ 
Ｂ・私の名前はタローです。 


ほんとに基本中の基本です。 
しかもセンスのない名前でごめんなさい(笑)  初対面のあいさつを想定しているんですが、 かなりフォーマルな場だと考えてくださって結構です。 

このフレーズなら仕事でも使えるでしょう。 ヨーロッパのポルトガル語に比べてブラジルのﾎﾟﾙﾄｶﾞﾙ語は非常に俗語が多いです。ですので、実際俗語辞典というのがあります。 

よって、友達の紹介などフランクな関係であれば、 
Como-se chama?（ｺﾓ　ｾ　ｼｬｰﾏ？）「名前は？」 
程度で結構です。 
これに対して答える時は 
Chamo-me ○○.　（ｼｬﾓ　ﾒ　○○） 
「○○です。」 

あっ、上の会話は俗語じゃないですよ。 俗語はもっと汚い言葉がありますから。 でも最初からあまり汚い言葉は使わないほうがいいですし、まずはちゃんとしたポルトガル語から始めましょう。 
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	<item>
		<title>世界に広がるポルトガル語圏</title>
		<description>

「ポルトガル語圏」とは文字通り、ポルトガル語が話される国や地域を指す言葉です。

「ポルトガル語圏」と聞いたとき、多くの人は、おそらくポルトガルとブラジルという2つの国名を思い浮かべるころでしょう。確かに、ポルトガル語圏を代表する国としては、ポルトガル語が誕生したポルトガルと、最大のポルトガル語国であるブラジルが挙げられるでしょう。

しかし、ポルトガル語圏は、イベリア半島やラテンアメリカだけでなく、さらにアジア、アフリカへも広がっています。現在、世界では約5000語が話されると言われるが、ポルトガル語は英語、フランス語、スペイン語、アラビア語、中国語などと並び、国際的なレベルで「——語圏」を語れる数少ない言語の１つでもあります。

しかも、ポルトガル語と現地の諸言語が接触し形成されたクレオール諸語(crioulos)が、ポルトガル語と並んで話される地域も少なくありません（地図参照）。まさに、ポルトガル語圏は世界的規模の広がりを見せているのです。



これからポルトガル語学科で学ぶ学生諸君には、ポルトガルとブラジルだけでない、さらに広大な世界が待っていることをまず認識して欲しいものです。

さて、「世界に広がるポルトガル語圏」と一口に言っても、それぞれの国や地域には、固有の歴史そして文化があるのも事実です。いくら15世紀以降ポルトガル人との接触を維持し続けたとはいえ、その全域がポルトガル語・ポルトガル文化一色に染まってしまったわけではないのです。言語にしても文化にしても、土着の要素は、変容を被りながらも、根強く生きているのです。

まずアジアを見ましょう。大航海時代、ポルトガル王室にとりアジアにおける最大の関心事は、当時のヨーロッパで希少価値そのものであった香辛料など、“東方の物産”を獲得することでした。そのためにポルトガル人は、貿易の拠点として各地に要塞をかねた商館(feitoria)を設け、そしてポルトガル語とポルトガル文化（あるいはクレオール語とクレオール文化）を残していったのです。

インドのゴア(Goa)、マレーシアのマラッカ(Malaca)、スリランカのバチカロア(Batticaloa)、マカオ(Macau)、さらにインドネシアのジャワ島のツグ(Tugu)、そのインドネシアからの分離独立運動を20年間以上にわたり続け、2002年に独立を果たした東チモール(Timor Loro Sa'e)の首都ディリ(Dili)は、どれもポルトガル人が展開した東方貿易の拠点として、かつて繁栄を見た都市です。

次にアフリカに目を転じてみましょう。アフリカにおけるポルトガル語圏の形成が、15世紀から19世紀まで続いた奴隷貿易の歴史と大きく重なっていることをまず確認しておくべきです。ヨーロッパ人として、15世紀に初めてアフリカ黒人を奴隷として利用し、19世紀末最後に奴隷制を廃止したのはポルトガル人でした。ポルトガル人にとり、大西洋に面するギニア・ビサウ(Guine-Bissau)とアンゴラ(Angola)、インド洋に面するモザンビーク(Mocambique)は、どれも奴隷供給地だったのです。

一方、カボ・ベルデ(Cabo Verde)とサントメ・プリンシペ(Sao Tome e Principe)といった島嶼国家は、もともと無人島であったが、15世紀後半以降、ポルトガル人はここにアフリカ人を連れてきて奴隷制植民地社会を築きました。さらに、大西洋を舞台とする奴隷貿易の中継基地としても、ポルトガル人はカボ・ベルデとサントメ・プリンシペを長く利用したのでした。

さて、ラテンアメリカ唯一のポルトガル語圏であるブラジルは、アフリカから奴隷を受け入れた側であり、ポルトガルに熱帯・亜熱帯産品（代表例は砂糖、染料原木パウ・ブラジル、タバコ、綿花、等）や金・ダイヤモンドを供給する植民地として開発されました。1808年には、ナポレオン軍に追われる形でポルトガル王室がブラジルに避難し、1815年には、ブラジル植民地は本国と同格の「連合王国」の名称を得るに至りました。そして1822年、ブラジルは南半球では珍しく帝国としてポルトガルから独立し、連邦共和制に移行するのは1889年のことでした。今日ブラジルは、その人口の上からも、経済力の面からも、ポルトガル語圏諸国の主軸という地位を不動のものとしています。

ポルトガルは、ブラジルよりおよそ20年遅れた1910年に王制から共和制に移行しました。しかし、その後は政治・経済ともに混乱を極め、1926年には軍事クーデターが起こり、1932年、サラザールが首相の座につくと、およそ半世紀にわたる「新国家」(Estado Novo)と呼ばれる長期独裁体制が敷かれました。

アフリカの植民地住民だけでなく、ポルトガル国民自体に対しても抑圧的だったサラザール体制は、サラザールの死後4年経った1974年4月25日、若手将校が起こした軍事クーデターによって終止符を打たれることになりました。この74年の「カーネーション革命」をきっかけに、ポルトガルはヨーロッパ国家として民主化の道のりを歩み始めたのです。

２．ポルトガル語圏のこれから

ポルトガル語圏各国（地域）のこれからに関しても触れておきましょう。それぞれの国や地域が困難な課題を抱えています。しかし、そこに見られるのは、ポルトガル語圏だけに限られた問題というよりは、むしろ21世紀を迎えた世界全体に課せられたテーマでもあります。

ポルトガルは、1986年1月に、スペインと同時に欧州共同体ＥＣ（現在、欧州連合ＥＵ）加盟を果たしました。

確かにＥＣ加盟後ポルトガル社会は急速に近代化され、見違えるような変貌を遂げましたが、残された課題もあります。今後は、地方分権化を進めること、豊かな沿岸部と貧しい内陸部の経済格差を埋めること、そして何よりも市民参加型の民主政治を定着させることが、重要かつ主要な課題となってくるでしょう。

ブラジルは1985年の民政移管後、2人の大統領が病死ないし失脚するという不幸に見舞われた。しかし、95年1月に就任した学者出身のカルドーゾ大統領のレアルプランによる経済安定化計画は、ハイパー・インフレを終息させ、国民の高い支持を集めることになりました。また、民政移管後、基幹産業の民営化が促進され、企業投資が拡大を見ました。それに伴い、国際経済への参加も徐々に進行したのです。

けれども、地域的・社会的不均衡の是正、近代的かつ効率的な国家の構築、競争力の強化・生産構造の近代化という目標の達成は、1999年から2期目に入ったカルドーゾ政権にとり大きな課題でありつづけ、2003年1月に発足したルーラ政権にとっても残された課題のままです。

ポルトガル語圏アフリカ5カ国は、1975年の独立（ギニア・ビサウだけは74年）以降、どの国も社会主義寄りの政治・経済路線を採用したのですが、その路線はすぐに行き詰まってしまいました。しかも、アンゴラとモザンビークでは、政府軍と反政府ゲリラ軍の間で15年間以上にわたる内戦が繰り広げられ、そこに幾度かの天候異変も加わり、国土は荒廃しました。

1980年代後半からは、どの国も国際通貨基金と世界銀行の指導を受け、経済改革に乗り出しました。しかし、自由市場経済を受け入れる基盤のない土地での経済改革は、発展よりむしろ混乱を招き、貧富の差の拡大という深刻な問題も生じてしまったのです。

ただ政治面では、アンゴラとモザンビークの内戦が終結し、さらにアフリカ政治全体に及んだ民主化の流れを受けて、ポルトガル語圏アフリカ5カ国すべてで民主的な選挙が行われました。始まったばかりの21世紀、アフリカ諸国に新たな展望が開けつつあることも事実なのです。

1999年、アジアのポルトガル語圏において、大きな出来事が2つありました。まず8月には、住民投票の結果、東チモールが24年間におよんだインドネシア支配を脱し独立する意志を明確にしたのです。選挙直後には一部のインドネシア併合派による破壊・殺戮行為が繰り広げられましたが、同年9月以降は国際軍そして国連軍の展開の下、治安を回復することができました。数多くの不安定要因を抱えながらも、東チモールは正式な独立を目指し大きな1歩を踏み出したのです。

また同年12月にはマカオが中国に返還されましたが、今後ポルトガル語・ポルトガル文化がどのようにして後世に伝えられていくのか、その行く末は注目に値します。これら2つの出来事の歴史的重要性は、「帝国」としてのポルトガルの歴史に終止符を打ったという意味において、無視できないものだと言えるでしょう。

さて、ポルトガル語圏全体の統合を目指す動きが、1996年に1つの新しい組織を誕生させました。同年7月、リスボンで発足された「ポルトガル語諸国共同体」(Comunidade dos Paises de Lingua Portuguesa)のことです。共通の言語と歴史を軸に、外交・経済分野での協力関係を強化しようというこの「共同体」が、グローバル化の進む世界の中で、どのような発展を遂げてゆくのか、注意して見守る必要があるでしょう。加盟国は、当初はポルトガル、ブラジル、アンゴラ、モザンビーク、カボ・ベルデ、ギニア・ビサウ、サントメ・プリンシペの7カ国だったのですが、2002年5月に東チモールが独立と同時に8番目の加盟国となりました。

最後に、日本との関連でポルトガル語圏世界を捉えてみましょう。まず、ポルトガルはヨーロッパへの“窓口”として期待され、1980年代末以降、日本企業の投資増加が見られました。また、ＥＵのメンバー国として、ポルトガルは欧州統合で重要な役割を担うことも期待されています。したがって、日本のＥＵ理解のためにも、対ＥＵ関係の発展促進のためにも、ポルトガルについての知識を深めておく必要があるでしょう。

ブラジルは、およそ150万人という海外最大の日系人社会を擁しますが、日本にとり、経済面においても、貿易・投資・金融面での重要なパートナーとなってきました。1995年には、日伯修好100周年が両国で数多くの記念行事により祝福されました。また、26万人を越える在日日系ブラジル人という隣人の登場により、「あちら側」ではなく「こちら側」におけるブラジル社会との新しい付き合い方も要求されるようになっています。

ポルトガル語圏アフリカ諸国との関係も、1990年代以降、ゆっくりとではありますが、発展が見られます。特に、アンゴラとモザンビークに関しては、関係強化の兆しが感じられます。というのは、92年に実施されたアンゴラの大統領・議会選挙に日本から選挙監視要員が派遣され、93年から94年にかけては、ＰＫＯ（国連平和維持活動）の一環として自衛隊がモザンビークに派遣されたからです。また、日本のＮＧＯの活動も両国において次第に活発となっています。

2002年5月に独立した東チモールには、道路や橋などインフラの再建のため自衛隊員およそ700人が2002年3月に派遣されました。これからは経済や文化など他の分野においても、日本からの協力が重要なものとなるでしょう


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	<item>
		<title>いろいろなあいさつ</title>
		<description>*おはよう Bom dia ! （ボン ジーア）

*こんにちは	Boa Tarde ! （ボア タールデ）

*こんばんは	Boa Noite ! （ボア ノイテ ）

*元気？	Como vai ? （コモ ヴァイ）

*元気です Bem （ベン)

*はじめまして。お名前は？ Muito Prazer. Qual é o seu nome? (ムイト プラゼール。クアウ エッ オ セウノ)

*私の名前は、今井セリーナです。あなたの名前は？ Meu nome é Celina Imai. E o seu? (メウ ノメ エッ セリーナ イマイ。エ オ セウ？)

*御名前は？（別の言い方）Como vocé se ...</description>
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			</item>
	<item>
		<title>ブラジルの国旗</title>
		<description>

ブラジルの国旗は、共和制宣言のあと、1889年11月19日臨時政府の法令で制定されました。国旗は緑色の地の中央に、黄色のひし形をおき、その中に淡青色の球を描いて、球の中に〈Ordem e Progresso〉（秩序と進歩）という銘を入れ、白い帯をななめに配し、帯をはさんで上に1個、下に大小26個の星をちりばめています。

この国旗が、何を表しているかについて、一般には緑の地はブラジルの豊かな自然を、黄のひし形は地下の資源を、淡青の球は世界の限りない大空を、〈Ordem e Progresso〉の文字は国民の理想を、星は連邦府と州を象徴するものと言われています。 </description>
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			</item>
	<item>
		<title>ポルトガルの魅力</title>
		<description> 

ポルトガルを訪れる人々は、どこへ行っても、ポルトガル人の温かく寛大な心、そして親切さを実感することでしょう。歴史的に、文化や経験を豊富に持ち、また、温暖な気候と美しい海に恵まれた素晴らしい環境の中で育まれたポルトガル人は、控え目で、のんびりとした国民性で、いつでも仲間と食事をし、会話をし、楽しい時間を共有するのが大好きです。 

シンプルなものから豪華なものまで、快適なホテルも数多く、旅行者を歓迎します。宿泊施設には、荘園領主や農家の邸宅を提供しているものや、歴史的建造物を改装した国営ホテル、ポウザーダなどもあり、個性的な旅の思い出を演出してくれるでしょう。食べ物も美味しく、まだまだ未知の魅力を秘めた宝物と言われるポルトガルワインも見逃せません。 ポルトガルには誇り高き歴史が根付き、見事な文化遺産や、知的で芸術的な営みが守り続けられています。

文化に興味があるなら、国内各地に点在する世界文化遺産をぜひ訪れてみてください。その他、古代墓地から注目すべき現代建築、またバロックからエキサイティングな現代アートに至るまで、並外れた建築の数々も目を引くことでしょう。 深く激しい情熱と共に繰り広げられる伝統的な各地方のお祭りでは、ポルトガルならではの親切なもてなしに触れることでしょう。太陽や海、砂、どこまでも続く見事なビーチや大西洋岸に砕け散る波の様子を楽しむ方にとっても、もちろんポルトガルは大変魅力的な国です。

ヨーロッパでも有数のリゾート地として知られ、マリンスポーツやゴルフを楽しむ、近代的な観光施設も整っています。また、ポルトガルは島が好きな方の情熱をも満足させることができるでしょう。アソーレス諸島では実に様々な冒険を体験することができ、中でもホエールウォッチングは人気のアクティビティーです。古代の熱帯雨林と近代的な豪華保養地とが調和しているマデイラ諸島では、大変美しい風景、国際都市の賑わい、壮大な建築物、活気に満ちたナイトライフを楽しめ、島の人々が、あなたのお越しをお待ちしています。 ポルトガルにはこのような魅力の全て、そしてさらに多くの発見があります。 </description>
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	<item>
		<title>ベイラス地方 『ポルトガル』</title>
		<description> 

アヴェイロ　(Aveiro)
街の中央を運河が横切り、モリセイロと呼ばれる色鮮やかな船がゆっくりと進んでいます。見どころとしては、15─18世紀に建てられたカテドラルとゴシック様式の十字架、キリスト修道院の美術館があります。その他、アヴェイロ駅の装飾タイルの美しさは有名です。大分の姉妹都市です。

ベルモンテ　(Belmonte)
山の上にある村で、壁にマヌエル様式の見事な窓がある城が中心になっています。城の隣の、ローマン・ゴシック様式のサンティアゴ教会に納められた「嘆きの聖母像」には、その素朴な美しさに心を動かされることでしょう。ベルモンテは、1500年にブラジルを発見したペドロ・アルヴァレス・カプラルの生地です。今日でも、15世紀からここに定住している重要なユダヤ人共同体があります。周辺にはセントゥン・セラスという、ローマ時代の二階建ての面白い建築がありますが、その用途は今も謎とされています。

ブサコ　(Bussaco)
19世紀に建築されたネオマヌエル様式のブサコ王宮が、鬱蒼と木立が茂る国立公園に佇んでいます。現在はホテルとして使用されており、豪華な宮殿の雰囲気を味わうことができます。3キロ離れたところには、温泉スパのルゾがあります。

カステロ・ブランコ　(Castelo Branco)
マヌエル様式の門のある13世紀に建てられた城が、中世の面影をとどめる町に建っています。古い司教館にフランシスコ・タヴァレス・プロエンサ・ジュニオール博物館があります。

コインブラ　(Coimbra)
ヨーロッパで最も古い大学都市の一つで、今でも格式を重んじており、黒いマントに身をつつんだ学生たち、彼らの演奏する独特なファドの調べ、リボン焼き祭など数百年の伝統を今に伝えています。丘の上に立つ大学からは街を見渡すことができます。大学のシンボルである時計塔、バロック様式の図書館と礼拝堂を見逃さないようお勧めします。 　コインブラの古い街並には中世の城壁やアーチ、階段が残り、ロマネスク様式の旧カテドラル、12世紀のサンタ・クルス修道院、ローマ時代の地下室のあるマシャド・デ・カストロ美術館が見どころです。ここから16キロ南へ行くと、ポルトガルで最も重要なローマ時代の遺跡のあるコニンブリガです。

コニンブリガ　(Conimbriga)
コインブラの南16キロにある、セリウム（今のトマール）から来てアエミニウム（コインブラ）へ続く街道が通っていたローマ時代の重要な都市です。腰の高さ程の初期の塀、非常に保存状態の良い、象形的あるいは幾何学模様の多彩モザイク、温泉、古代キリスト教の洗礼堂が保存されています。博物館も併設されており、貴重な発掘物の数々を見ることができます。

フィゲイラ・ダ・フォス　(Figueira da foz)
モンデゴ川河口のリゾート地です。ポルトガルでも有数の広いビーチにはマリンスポーツの施設が整っていて飽きさせません。カジノもあり、ナイトライフも楽しめます。カサ・ド・パソ聖母教会、市立博物館、サンタ・カタリーナ要塞などがあります。

ポンテ・デ・リマ　(Ponte de Lima)
ローマ時代の橋と中世の塔が残る、たいへん美しい小さな町です。荘園が数多くあることでも有名で、宿泊できる荘園領主の館がたくさんあります。

グアルダ　(Guarda)
街に残る城壁や塔、古いユダヤ人居住区、ジョアン一世やバルバダオンの居住区が、中世の壮麗さを思い起こさせてくれます。もともとゴシック様式のカテドラルには、マヌエル様式の扉と窓があり、祭壇の後ろにはルネサンス様式の衝立が飾られています。

モンサント　(Monsanto)
古代ルジタニア人の居住地ペーニャ・ガルシア山を取りまく古い村で、岩と家が一体となったような、独特な住居が多くあります。1938年に、「ポルトガルでもっともポルトガルらしい村」に選ばれたこの村は、いまだに昔ながらの光景を留めています。また、ここのポウザーダからの眺めは絶景です。

ヴィラ・ノヴァ・デ・フォス・コア　(Vila Nova de Foz Coa)
コア考古学公園の見学や、コア川岸の洞窟から発見された旧石器時代上期の壁画を見るには、この町から行くのが便利です。町の一番大きな教会にはマヌエル様式の美しい柱廊式玄関があります。

ヴィゼウ　(Viseu)
ローマ軍が残した要塞やゴシック様式の壁、15世紀から16世紀につくられた古い門が見どころです。見逃してはならないのがグラン・ヴァスコ美術館で貴重な絵画のコレクションが展示されています。ここは、作家の檀一雄も愛飲したダンワインの生産の中心地でもあります。ふくよかなダンの赤ワインは、特に人気があります。

歴史的な村々
ポルトガル建国以前から存在してきた村々の存在も、中部ポルトガル、ベイラス地方の特徴の一つです。このような村々は、ローマ人の侵攻以前に、人々を守るために建てられたため、標高の高い地域に位置しています。基本的に、防衛を優先させた作りになっているため、どの村も強靭な城壁で囲まれており、唯一の例外はピオダォン（Piodao）の村です。代表的な村としては、アルメイダ（Almeida、18世紀に建てられた多角形をした要塞はほぼ攻撃不可能と思われていました）、カステロ・メンド（Castelo Mendo）、カステロ・ノヴォ（Castelo Novo）、カステロ・ロドリゴ（Castelo Rodrigo）、イダーニャ・ヴェリャ（Idanha-a-Velha、ローマ時代の遺跡や西ゴート族の教会がある）、リニャーレス・ダ・ベイラ（Linhares da Beira）、マリアルバ（Marialva）、ピオダォン（Piodao）、ソルテーリャ（Sortelha）などが挙げられます。
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		<title>ポルトガル語に入った日本語</title>
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日本語とポルトガル語の関係で特筆すべきは、日本語のほうからポルトガル語へ輸出した外来語もあることである。もちろん jud（柔道）、carat（空手）などはポルトガル語の辞書に載っているが、それらは明治以後に主に英語を通して入ったもの。それ以前に、日本語から直接ポルトガル語に入った語があるのだ。それは同時に、初めてヨーロッパ語に入った日本語の単語でもある。bonzo、biombo がそれで、「坊主」「屏風」のこと。なかでも bonzo は、ポルトガル語を通じてスペイン語やフランス語にも取り入れられ、この語はヨーロッパに広まることになる。 

　ところで「坊主」は現代の日本語では軽蔑的なニュアンスもある語だが、当時は僧侶一般の呼称であった。当然、ポルトガル語には「（仏教の）僧侶」の意味で伝えられたが、いつの間にか bonzo には「偽善者」という第２の意味合いが加わるようになった。本来は敬称だった日本語の「お前」が現在では主に目下の相手に対して用いられるように、ある語が時が経つにつれ意味をおとしめられていくのは珍しくないが、ポルトガル語となった bonzo にも日本語と同様のニュアンスが加わったのは面白い。「坊主（bonzo）」は「バテレン（padre）」のライバルだったからかもしれない。  </description>
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		<title>日本語に入ったポルトガル語</title>
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日本とポルトガルの出合いは古く、戦国時代の16世紀半ばにポルトガル人が種子島に漂着して以来である。まもなく宣教師が渡来し、キリスト教の布教に努めた。 

　日本語にもキリスト教関係の外来語が入り、ポルトガル語の Cristo（キリスト教徒）が「キリシタン」、padre（神父、司祭）が「バテレン」になった。 

　もちろん宗教関係以外の語もある。特に、日本人が洋服を見るのはこのときが初めてだったので、ボタン（boto）、ビロード（veludo）、ラシャ（raxa）などの服飾用語が多く取り入れられた。カッパ（capa）、ジバン（gibo）などは、漢字で「合羽」「襦袢」と書かれることも多いので、外来語とは気づかない人も多い。なお「襦袢」は“じゅばん”とも読まれ、日本では「和服の下着」の意味に使われる。ポルトガル語での「ジバン」は短い袖なしの胴着のようなものだったという。 

　食べ物では、何をおいてもパン（pn）が挙げられる。コンペイトーも漢字で「金平糖」などと書かれるが、もとは confeito（砂糖菓子）に由来する。このほか、「てんぷら」も、ポルトガル語の tempero（調味料）が語源という説が有力だ（これには異説もある）。 </description>
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		<title>アレンテージョ地方 『ポルトガル』</title>
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青く澄んだ空から降り注ぐ強い日差し、広大な平原で草を食む羊たち。のどかな光景が続く地方です。一方、石器時代からの貴重な遺産が数多く残り、私たちを歴史的ロマンへといざないます。

　アレンテージョ地方は、光に満ちたエリアです。オリーブ畑やコルク樫の大農園が果てしなく続き、小麦畑が金色に輝き、上昇温暖気流に乗って野雁が舞っています。 北西部はテージョ川の南岸沿いに位置し、闘牛用の牛や馬が放牧される肥沃な草原が広がります。スペイン国境沿いの北東部には、ロタ・ドス・カステロスと呼ばれる城砦都市の連なる街道があり、美しい町や村が続きます。
南へ行くと、景色は穏やかに、平坦になります。ポルトガルで最も美しい町の一つであるエヴォラの周りにはモンサラース、ヴィラ・ヴィソーザ、エストレモス、そして、タペストリーで有名なアライオロスなどがあります。さらに南へ下ると家々は疎らな平地になり、日陰はオリーブやコルクや樫の木陰だけになってしまいます。アルヴィト、ベージャ、セルパ、メールトラといった街もお勧めです。
海岸線には大西洋に面した自然のままの砂浜や、隠れた入り江、砂丘が続き、訪れた人を魅了します。中でもマリャオンは、ヨーロッパ最大のコウノトリの群生地の一つとして知られています。また、毎年夏には、ザンブジェイラ・ド・マールで大規模なスドエステ・ロックフェスティバルが開催されます。

石器時代の石碑やストーンサークル、ドルメン（直立した数個の自然石の上に偏平な大岩をのせたもの）など、古代文化のムードが色濃く残る遺産も多く見受けられます。古代ローマやアラブの文化がキリスト教と混合した痕跡や、中世の城も点在し、繁栄した文化の足跡を今に伝えています。
　アレンテージョ地方の都市や村には、かつてのムーア人との激しい戦いの痕跡が今も見られます。その多くは小高い丘の上に位置する城壁都市で、要塞が築かれています。「ワシの巣」という別名を持つ中世の町モンサラースはグアディアナ川沿いの高台に位置しています。見渡す風景は見事で、とくに、日の出日の入りの美しさは、言葉に尽くせません。また白壁の村 マルヴァオンはスペインとの国境付近にあり、その絶景で知られています。近隣のカステロ・デ・ヴィーデは丘の上の温泉地で、迷路のようなユダヤ人街と14−15世紀のシナゴーグ（ユダヤ教会）が見所です。

この地方の気候は、夏と冬で寒暖の差が激しいのですが、湿気が少なく、比較的楽に過ごせます。
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		<title>ポルトガル語公用語国</title>
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ポルトガル語を公用語としている国々が緑色で表されています。

①ポルトガル　　②カボ・ベルデ　　③ギニア・ビサウ　　④サントメ・プリンシペ

⑤アンゴラ　　⑥モザンビーク　　⑦東チモール　　⑧ブラジル </description>
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		<title>ブラジルの人口</title>
		<description>ブラジルは、1億7千万の人口を有しています。人口でブラジルを上回る国は、中国、インド、アメリカ、インドネシアの4カ国だけです。日本の約1.3倍にあたる人口ですが、国土の面積は日本の約22.6倍です。

最初のブラジル人は、どこから渡米してきたのでしょうか。南米は人類が最後に足を踏み入れた大陸です。最初の人々は、氷河期が終わった後にアジアからやってきました。まず北米大陸に入り、それから南へ向って南米にたどり着きました。その人たちは、今でもブラジルの辺境に暮らすインディオの祖先です。

ヨーロッパから最初にやってきたのは、ポルトガル人でした。彼らは、西暦1500年過ぎからブラジルへ移り住み、1549年にはブラジルを植民地とし、サルヴァドール市が首都となりました。高地に金や銀が見つかって以来、ポルトガル人たちは海岸沿いから内陸各地へと散らばっていきました。その後もたくさんのポルトガル人が移住してきました。そして砂糖、錫（すず）、金、銀をヨーロッパへ送ったのです。

ポルトガル人たちは、海岸沿いにサトウキビ農園を作り上げ、西アフリカから連れて来た奴隷をそこで働かせました。1888年に奴隷制度が廃止されるまで、約1千万の奴隷がブラジルに連れてこられました。

19世紀始め頃からは、イタリアをはじめヨーロッパ各国から数多くの人々がやって来ました。ドイツ、スペイン、ポーランドなどの人々も新天地を求めてブラジルへ来ました。その多くは、南東部各地のコーヒー園やアマゾン川流域のゴム園で働きました。日本からも数多くの移住者が渡り、ブラジルは日本列島以外で最も多くの日系人が住む国です。

ブラジル人は、様々な国の人々で構成され、一つの国を作り上げました。およその比率は次のとおりです。

ヨーロッパ系	55%
混血	39%
アフリカ系	 5%
日系人	 1%

インディオの数は約25万人で、小さな集団に分かれて主に北部で生活しています。その言語の数は、180にのぼります。 </description>
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