アレンテージョ地方 『ポルトガル』

ポルトガル語

青く澄んだ空から降り注ぐ強い日差し、広大な平原で草を食む羊たち。のどかな光景が続く地方です。一方、石器時代からの貴重な遺産が数多く残り、私たちを歴史的ロマンへといざないます。

 アレンテージョ地方は、光に満ちたエリアです。オリーブ畑やコルク樫の大農園が果てしなく続き、小麦畑が金色に輝き、上昇温暖気流に乗って野雁が舞っています。 北西部はテージョ川の南岸沿いに位置し、闘牛用の牛や馬が放牧される肥沃な草原が広がります。スペイン国境沿いの北東部には、ロタ・ドス・カステロスと呼ばれる城砦都市の連なる街道があり、美しい町や村が続きます。
南へ行くと、景色は穏やかに、平坦になります。ポルトガルで最も美しい町の一つであるエヴォラの周りにはモンサラース、ヴィラ・ヴィソーザ、エストレモス、そして、タペストリーで有名なアライオロスなどがあります。さらに南へ下ると家々は疎らな平地になり、日陰はオリーブやコルクや樫の木陰だけになってしまいます。アルヴィト、ベージャ、セルパ、メールトラといった街もお勧めです。
海岸線には大西洋に面した自然のままの砂浜や、隠れた入り江、砂丘が続き、訪れた人を魅了します。中でもマリャオンは、ヨーロッパ最大のコウノトリの群生地の一つとして知られています。また、毎年夏には、ザンブジェイラ・ド・マールで大規模なスドエステ・ロックフェスティバルが開催されます。

石器時代の石碑やストーンサークル、ドルメン(直立した数個の自然石の上に偏平な大岩をのせたもの)など、古代文化のムードが色濃く残る遺産も多く見受けられます。古代ローマやアラブの文化がキリスト教と混合した痕跡や、中世の城も点在し、繁栄した文化の足跡を今に伝えています。
 アレンテージョ地方の都市や村には、かつてのムーア人との激しい戦いの痕跡が今も見られます。その多くは小高い丘の上に位置する城壁都市で、要塞が築かれています。「ワシの巣」という別名を持つ中世の町モンサラースはグアディアナ川沿いの高台に位置しています。見渡す風景は見事で、とくに、日の出日の入りの美しさは、言葉に尽くせません。また白壁の村 マルヴァオンはスペインとの国境付近にあり、その絶景で知られています。近隣のカステロ・デ・ヴィーデは丘の上の温泉地で、迷路のようなユダヤ人街と14−15世紀のシナゴーグ(ユダヤ教会)が見所です。

この地方の気候は、夏と冬で寒暖の差が激しいのですが、湿気が少なく、比較的楽に過ごせます。

ポルトガル語公用語国

ポルトガル語 地図

ポルトガル語を公用語としている国々が緑色で表されています。

①ポルトガル  ②カボ・ベルデ  ③ギニア・ビサウ  ④サントメ・プリンシペ

⑤アンゴラ  ⑥モザンビーク  ⑦東チモール  ⑧ブラジル

ブラジルの人口

ブラジルは、1億7千万の人口を有しています。人口でブラジルを上回る国は、中国、インド、アメリカ、インドネシアの4カ国だけです。日本の約1.3倍にあたる人口ですが、国土の面積は日本の約22.6倍です。

最初のブラジル人は、どこから渡米してきたのでしょうか。南米は人類が最後に足を踏み入れた大陸です。最初の人々は、氷河期が終わった後にアジアからやってきました。まず北米大陸に入り、それから南へ向って南米にたどり着きました。その人たちは、今でもブラジルの辺境に暮らすインディオの祖先です。

ヨーロッパから最初にやってきたのは、ポルトガル人でした。彼らは、西暦1500年過ぎからブラジルへ移り住み、1549年にはブラジルを植民地とし、サルヴァドール市が首都となりました。高地に金や銀が見つかって以来、ポルトガル人たちは海岸沿いから内陸各地へと散らばっていきました。その後もたくさんのポルトガル人が移住してきました。そして砂糖、錫(すず)、金、銀をヨーロッパへ送ったのです。

ポルトガル人たちは、海岸沿いにサトウキビ農園を作り上げ、西アフリカから連れて来た奴隷をそこで働かせました。1888年に奴隷制度が廃止されるまで、約1千万の奴隷がブラジルに連れてこられました。

19世紀始め頃からは、イタリアをはじめヨーロッパ各国から数多くの人々がやって来ました。ドイツ、スペイン、ポーランドなどの人々も新天地を求めてブラジルへ来ました。その多くは、南東部各地のコーヒー園やアマゾン川流域のゴム園で働きました。日本からも数多くの移住者が渡り、ブラジルは日本列島以外で最も多くの日系人が住む国です。

ブラジル人は、様々な国の人々で構成され、一つの国を作り上げました。およその比率は次のとおりです。

ヨーロッパ系 55%
混血 39%
アフリカ系 5%
日系人 1%

インディオの数は約25万人で、小さな集団に分かれて主に北部で生活しています。その言語の数は、180にのぼります。