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ポルトガル語.jp » 世界に広がるポルトガル語圏
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世界に広がるポルトガル語圏


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ポルトガル語

「ポルトガル語圏」とは文字通り、ポルトガル語が話される国や地域を指す言葉です。

「ポルトガル語圏」と聞いたとき、多くの人は、おそらくポルトガルとブラジルという2つの国名を思い浮かべるころでしょう。確かに、ポルトガル語圏を代表する国としては、ポルトガル語が誕生したポルトガルと、最大のポルトガル語国であるブラジルが挙げられるでしょう。

しかし、ポルトガル語圏は、イベリア半島やラテンアメリカだけでなく、さらにアジア、アフリカへも広がっています。現在、世界では約5000語が話されると言われるが、ポルトガル語は英語、フランス語、スペイン語、アラビア語、中国語などと並び、国際的なレベルで「——語圏」を語れる数少ない言語の1つでもあります。

しかも、ポルトガル語と現地の諸言語が接触し形成されたクレオール諸語(crioulos)が、ポルトガル語と並んで話される地域も少なくありません(地図参照)。まさに、ポルトガル語圏は世界的規模の広がりを見せているのです。

ポルトガル語

これからポルトガル語学科で学ぶ学生諸君には、ポルトガルとブラジルだけでない、さらに広大な世界が待っていることをまず認識して欲しいものです。

さて、「世界に広がるポルトガル語圏」と一口に言っても、それぞれの国や地域には、固有の歴史そして文化があるのも事実です。いくら15世紀以降ポルトガル人との接触を維持し続けたとはいえ、その全域がポルトガル語・ポルトガル文化一色に染まってしまったわけではないのです。言語にしても文化にしても、土着の要素は、変容を被りながらも、根強く生きているのです。

まずアジアを見ましょう。大航海時代、ポルトガル王室にとりアジアにおける最大の関心事は、当時のヨーロッパで希少価値そのものであった香辛料など、“東方の物産”を獲得することでした。そのためにポルトガル人は、貿易の拠点として各地に要塞をかねた商館(feitoria)を設け、そしてポルトガル語とポルトガル文化(あるいはクレオール語とクレオール文化)を残していったのです。

インドのゴア(Goa)、マレーシアのマラッカ(Malaca)、スリランカのバチカロア(Batticaloa)、マカオ(Macau)、さらにインドネシアのジャワ島のツグ(Tugu)、そのインドネシアからの分離独立運動を20年間以上にわたり続け、2002年に独立を果たした東チモール(Timor Loro Sa’e)の首都ディリ(Dili)は、どれもポルトガル人が展開した東方貿易の拠点として、かつて繁栄を見た都市です。

次にアフリカに目を転じてみましょう。アフリカにおけるポルトガル語圏の形成が、15世紀から19世紀まで続いた奴隷貿易の歴史と大きく重なっていることをまず確認しておくべきです。ヨーロッパ人として、15世紀に初めてアフリカ黒人を奴隷として利用し、19世紀末最後に奴隷制を廃止したのはポルトガル人でした。ポルトガル人にとり、大西洋に面するギニア・ビサウ(Guine-Bissau)とアンゴラ(Angola)、インド洋に面するモザンビーク(Mocambique)は、どれも奴隷供給地だったのです。

一方、カボ・ベルデ(Cabo Verde)とサントメ・プリンシペ(Sao Tome e Principe)といった島嶼国家は、もともと無人島であったが、15世紀後半以降、ポルトガル人はここにアフリカ人を連れてきて奴隷制植民地社会を築きました。さらに、大西洋を舞台とする奴隷貿易の中継基地としても、ポルトガル人はカボ・ベルデとサントメ・プリンシペを長く利用したのでした。

さて、ラテンアメリカ唯一のポルトガル語圏であるブラジルは、アフリカから奴隷を受け入れた側であり、ポルトガルに熱帯・亜熱帯産品(代表例は砂糖、染料原木パウ・ブラジル、タバコ、綿花、等)や金・ダイヤモンドを供給する植民地として開発されました。1808年には、ナポレオン軍に追われる形でポルトガル王室がブラジルに避難し、1815年には、ブラジル植民地は本国と同格の「連合王国」の名称を得るに至りました。そして1822年、ブラジルは南半球では珍しく帝国としてポルトガルから独立し、連邦共和制に移行するのは1889年のことでした。今日ブラジルは、その人口の上からも、経済力の面からも、ポルトガル語圏諸国の主軸という地位を不動のものとしています。

ポルトガルは、ブラジルよりおよそ20年遅れた1910年に王制から共和制に移行しました。しかし、その後は政治・経済ともに混乱を極め、1926年には軍事クーデターが起こり、1932年、サラザールが首相の座につくと、およそ半世紀にわたる「新国家」(Estado Novo)と呼ばれる長期独裁体制が敷かれました。

アフリカの植民地住民だけでなく、ポルトガル国民自体に対しても抑圧的だったサラザール体制は、サラザールの死後4年経った1974年4月25日、若手将校が起こした軍事クーデターによって終止符を打たれることになりました。この74年の「カーネーション革命」をきっかけに、ポルトガルはヨーロッパ国家として民主化の道のりを歩み始めたのです。

2.ポルトガル語圏のこれから

ポルトガル語圏各国(地域)のこれからに関しても触れておきましょう。それぞれの国や地域が困難な課題を抱えています。しかし、そこに見られるのは、ポルトガル語圏だけに限られた問題というよりは、むしろ21世紀を迎えた世界全体に課せられたテーマでもあります。

ポルトガルは、1986年1月に、スペインと同時に欧州共同体EC(現在、欧州連合EU)加盟を果たしました。

確かにEC加盟後ポルトガル社会は急速に近代化され、見違えるような変貌を遂げましたが、残された課題もあります。今後は、地方分権化を進めること、豊かな沿岸部と貧しい内陸部の経済格差を埋めること、そして何よりも市民参加型の民主政治を定着させることが、重要かつ主要な課題となってくるでしょう。

ブラジルは1985年の民政移管後、2人の大統領が病死ないし失脚するという不幸に見舞われた。しかし、95年1月に就任した学者出身のカルドーゾ大統領のレアルプランによる経済安定化計画は、ハイパー・インフレを終息させ、国民の高い支持を集めることになりました。また、民政移管後、基幹産業の民営化が促進され、企業投資が拡大を見ました。それに伴い、国際経済への参加も徐々に進行したのです。

けれども、地域的・社会的不均衡の是正、近代的かつ効率的な国家の構築、競争力の強化・生産構造の近代化という目標の達成は、1999年から2期目に入ったカルドーゾ政権にとり大きな課題でありつづけ、2003年1月に発足したルーラ政権にとっても残された課題のままです。

ポルトガル語圏アフリカ5カ国は、1975年の独立(ギニア・ビサウだけは74年)以降、どの国も社会主義寄りの政治・経済路線を採用したのですが、その路線はすぐに行き詰まってしまいました。しかも、アンゴラとモザンビークでは、政府軍と反政府ゲリラ軍の間で15年間以上にわたる内戦が繰り広げられ、そこに幾度かの天候異変も加わり、国土は荒廃しました。

1980年代後半からは、どの国も国際通貨基金と世界銀行の指導を受け、経済改革に乗り出しました。しかし、自由市場経済を受け入れる基盤のない土地での経済改革は、発展よりむしろ混乱を招き、貧富の差の拡大という深刻な問題も生じてしまったのです。

ただ政治面では、アンゴラとモザンビークの内戦が終結し、さらにアフリカ政治全体に及んだ民主化の流れを受けて、ポルトガル語圏アフリカ5カ国すべてで民主的な選挙が行われました。始まったばかりの21世紀、アフリカ諸国に新たな展望が開けつつあることも事実なのです。

1999年、アジアのポルトガル語圏において、大きな出来事が2つありました。まず8月には、住民投票の結果、東チモールが24年間におよんだインドネシア支配を脱し独立する意志を明確にしたのです。選挙直後には一部のインドネシア併合派による破壊・殺戮行為が繰り広げられましたが、同年9月以降は国際軍そして国連軍の展開の下、治安を回復することができました。数多くの不安定要因を抱えながらも、東チモールは正式な独立を目指し大きな1歩を踏み出したのです。

また同年12月にはマカオが中国に返還されましたが、今後ポルトガル語・ポルトガル文化がどのようにして後世に伝えられていくのか、その行く末は注目に値します。これら2つの出来事の歴史的重要性は、「帝国」としてのポルトガルの歴史に終止符を打ったという意味において、無視できないものだと言えるでしょう。

さて、ポルトガル語圏全体の統合を目指す動きが、1996年に1つの新しい組織を誕生させました。同年7月、リスボンで発足された「ポルトガル語諸国共同体」(Comunidade dos Paises de Lingua Portuguesa)のことです。共通の言語と歴史を軸に、外交・経済分野での協力関係を強化しようというこの「共同体」が、グローバル化の進む世界の中で、どのような発展を遂げてゆくのか、注意して見守る必要があるでしょう。加盟国は、当初はポルトガル、ブラジル、アンゴラ、モザンビーク、カボ・ベルデ、ギニア・ビサウ、サントメ・プリンシペの7カ国だったのですが、2002年5月に東チモールが独立と同時に8番目の加盟国となりました。

最後に、日本との関連でポルトガル語圏世界を捉えてみましょう。まず、ポルトガルはヨーロッパへの“窓口”として期待され、1980年代末以降、日本企業の投資増加が見られました。また、EUのメンバー国として、ポルトガルは欧州統合で重要な役割を担うことも期待されています。したがって、日本のEU理解のためにも、対EU関係の発展促進のためにも、ポルトガルについての知識を深めておく必要があるでしょう。

ブラジルは、およそ150万人という海外最大の日系人社会を擁しますが、日本にとり、経済面においても、貿易・投資・金融面での重要なパートナーとなってきました。1995年には、日伯修好100周年が両国で数多くの記念行事により祝福されました。また、26万人を越える在日日系ブラジル人という隣人の登場により、「あちら側」ではなく「こちら側」におけるブラジル社会との新しい付き合い方も要求されるようになっています。

ポルトガル語圏アフリカ諸国との関係も、1990年代以降、ゆっくりとではありますが、発展が見られます。特に、アンゴラとモザンビークに関しては、関係強化の兆しが感じられます。というのは、92年に実施されたアンゴラの大統領・議会選挙に日本から選挙監視要員が派遣され、93年から94年にかけては、PKO(国連平和維持活動)の一環として自衛隊がモザンビークに派遣されたからです。また、日本のNGOの活動も両国において次第に活発となっています。

2002年5月に独立した東チモールには、道路や橋などインフラの再建のため自衛隊員およそ700人が2002年3月に派遣されました。これからは経済や文化など他の分野においても、日本からの協力が重要なものとなるでしょう